教育事情2023 6月号 ~片山豊

前回、「学ぶ」ことは、本来楽しいことであって、辛いことではないというお話をさせていただきました。

 「まぁなんとなく、理解できるけれど…。現実はそう甘くないからね。」というご感想をお持ちになられたことと思います。実は、私も大学に入るまでは、そうでした。もう「勉強大嫌い!」少年だったんです。実は、私の母は、いわゆる「教育ママ」であり、おまけに大の負けず嫌いでした。私には勉強する理由など尋ねることすら許されず、ただ、100点をとることが私への至上命令でした。読書も毎日の課題でした。おそらく当時の小学生への推奨全集本はほとんど家にありました。母親の趣味で日本の古典文学全集も完備されており、当然それも課題となっていました。ただ、面白かったのは1冊ずつ丁寧に読むのではなく、数冊をほぼ同時並行的に読み流すようにとの課題でした。

 まぁ兎に角、私にとって、「勉強」なるものは苦痛でしかなかったことを64歳の今でも覚えています。ところが、小学6年生のおりに両親が離婚することになり、私は比較的のんきな父親に引き取られます。おかげで悪夢のような「勉強」から脱出、遊びまくりました。

気が付けば、「高校、どこ行くの?」の世界に到達していました。そんな私がとりあえず大学まで行けたことは小学校時代の「教育ママゴンの超スパルタ式勉強法」のおかげだったことは否定しません。ただ、大学の自由な学習スタイルが一気に私を「学び」の世界にいざなってくれたのです。「勉強ってこんなに楽しかったの?」という感覚に襲われ、気が付けば、修得単位数は200単位(卒業単位125単位 年間上限50単位)でした。他大学への潜り授業も数多…。

 要するに、問題点は3つあります。

第1に、学ぶ者としての主導権を取り上げられると、全く面白くなく、やる気がおきないということです。

第2に、学業に「競争原理」を持ち込まれると、苦しくなるということです。

第3に、ミスマッチです。できそうなことを学ぶのではなく、学びたいことを学ぶということです。

 「いや~、それは緩いですね」と思っておいでだと察しますが、そもそも、「学習」は、他人と勝負するために行うのではなく、自分の幸せと、帰属する社会への貢献のために精進するものなのです。欧米資本主義の「競争原理」を持ち込んでも、実はさほど効果はありません。偏差値をたよりにした受験競争を展開してきた日本社会の現状がそのすべてを表していますよね。

 そして、何より今の政府やグローバル社会が目指している教育の方向性は、「競争」ではなく、「協奏」なのです。ESDやSDGsがそれであり、今最も注目を浴びているレッジョ・エミリア幼児教育もその方向にむいています。

よく考えてみてください、「競争原理」では、勝者に用意される椅子は、どれだけ多くの人間がその競争に参加しようと、たった「1つ」だけなのです。

有名な言葉があります。それは、アメリカ大統領だったケネディさんのおじいさんが残した、「1番になりなさい。2番は負けだ。」という言葉です。ケネディは、その言葉にずいぶんと苦しい日々を送ったようですが、太平洋戦争で出征した折に戦地で、「助け合う」ことの大切さを身に染みて理解したそうです。それ以降、祖父の呪縛から解き放たれたケネディは、精力的に活動し、ついにはアメリカの希望として大統領に就任するのです。

 他人のことを気にかけることなく、お子様のことだけをしっかり見つめ、そして抱きしめ、今本当に必要としていることを、与えてあげることが大事だと思います。

                                 片山 豊

株式会社078 CSO(事業戦略オフィサー)教育事業部長

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